頭の栄養

・記憶と思い出す仕組み

 

新しい情報が入ってくるたびに、古い記憶は追いやられ忘れていきますが、

 

知識の絶対量を増やすには

 

古い記憶を忘れないことが必要になってくると思います。

 

 

前提として、理解力があり勉強ができる人というのは、

 

ただ書きなぐって丸暗記するのではなく何かを繋げて覚えているので、

 

古い記憶が残り記憶力がいいのだと思います。

 

分かりやすい例として、

 

「ノーベル賞を受賞した湯川秀樹」と丸々覚えるのではなく、

 

「湯の川から流れてきた天才」+「ノーベル賞を受賞した湯川秀樹」という、

 

自分なりのストーリーで関連付けるということです。

 

また、言葉の繋がりだけではなく、

 

その様子をイメージするとなおいいと思います。

 

逆にこの例でいうと、「川」を見ていると

 

「湯川秀樹」を思い出し、その後「ノーベル賞」という単語を思い出します。

 

そして、「そういえば今年のノーベル賞受賞者は誰だっけ?」というような脈絡になります。

 

まとめると、何かと何かを繋げて覚えると、

 

その何かをきっかけに大事な何かを思い出すということです。

 

そのような繋がりをさらにたくさん関連付けていき記憶のネットワークができることで、

 

引き出しという知識が増えると思います。

 

 

 

 

 

・駆け引き

 

恋愛にも商談にも言葉の駆け引きを使いますが、

 

言葉巧みに相手をひきつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

  

私なりの考えですが、まず結果を求めすぎて焦らず、

 

駆け引きに勝とうとも負けようとも思わず、淡々としたスタンスで臨むべきだと思います。

 

勝ちを急ぐと自分を見失い心理が丸裸になってしまいますし、

 

負けてしまうかもと思うと消極的になり、相手に飲まれてしまいます。

 

それから、言葉の裏を取りすぎないということも肝心だと思います。

 

駆け引きの場でも言われた言葉は素直にうけるということです。

 

こういう場合、裏を取るのではなく、

 

相手が勘で攻めてきたら勘で返せば深読みし過ぎて空回りすることもないですし、

 

計算で攻めてきたら計算で返せば粗探しをされないと思います。

 

もう一つの手段として、話が長くなり水掛け論になったら、

 

計算は勘で返して勘は計算で返すと話が円満に終わると思います。

 

つまり、計算していることを悟らせないようにすることも計算の一つです。

 

勘の本質とは、思ったことを素直に明瞭簡潔に言うことです。

 

駆け引きはその人の持ち合わせる能力に大きく左右されますので、

 

苦手な人は駆け引きなしの直球勝負がいいと思います。

 

少しでも自分に駆け引きが向いているなと思ったら、

 

頭のキレ(回転)とコク(深さ)のトレーニングをするといいです。

 

回転は、普段の生活を言葉で回想するのではなく、

 

画で描写して記憶しイメージを言語化することにより、

 

言葉がスラスラ出てきて回転が速くなります。

 

また、コクは、失敗したことを深く省みて突き詰めていけばいいです。

 

キレとコクが相手の方が一歩上だと感じたら、

 

直球も織り交ぜて錯乱させておいて、形勢逆転ということもあるかもしれません。

 

 

 

 

・確実に人の名前を覚える方法

 

名前を覚えるのが苦手な人は、人の名前を音で覚えようとしたり、

 

名前と顔を関連付けていないことに原因があると思います。

 

他のことにも応用できると思うのですが、

 

初対面の人から自己紹介されたら、漢字が分からなければひらがなでいいので、

 

名前の音を文字に変換してその人の名前の文字と顔をイメージすると覚えやすいです。

 

それから、○○さんは背が高いなとか、体格がいいなという第一印象まで付け加えると、

 

より一層記憶に残ると思います。

 

 

 

 

・哲学とは

 

辞書で「哲学」という言葉を調べると、

 

「知を探求すること」と定義されています。

 

これではあやふやで、人によって捉え方が違い、

 

定義はないものだと思った方が無難かもしれません。

 

それに、哲学には切り口がなく、

 

入門だとか、はたまた中級、上級というものもありません。

 

つまり哲学とは、

 

人間が作り上げた法律などの社会システムのように浅はかで単純なものではなく、

 

知る学問というよりは、完璧でもともと存在している知に気づく学問なのです。

 

未完成な人間にとっては奥が深く、

 

掘り下げても掘り下げても底が見えないということと、

 

時代を経ても色あせない永遠に続く学問であるということが最大の魅力です。

 

例えば、愛という言葉をとっても、

 

太古の昔から音楽や詩集などの多岐にわたる分野で表現されていますが、

 

どんな言葉を並べても完璧に表現はできない、というような奥深さがあります。

 

森羅万象の根底にあり、いろいろな局面に応用が利くので、

 

理解して噛み砕いて自分に置き換えて考えてみると、

 

実生活にも即役立つという利便性の高い学問であることも魅力の一つです。

  

例えば、医学に関しては患者さんのことを最優先し自分なりの哲学を持っている医者がいい医者で、

 

患者さんの心を無視して機械的に仕事をしている医者は良くない、

 

というような考え方が、

 

先ほど述べた利便性の高い学問ということを意味します。

 

 

・四重発想法による性格や考え方

 

図1

 

A

 

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個人の性格や考え方は、図1のように対照的かつ相対的に成り立っているものだと思います。

 

対照の中間であるバランス、

 

相対を超越する絶対という二つの理想が無ければ、

 

人格者になるという最善を尽くすことができなくなってしまうと思います。

 

理想がなければ、最善はないのではないでしょうか?   

                               

つまり、自分を冷静に見つめなおして、

 

自分を磨き価値を高めていく向上心が大切だと思います。

 

私自身も、人格者には程遠いので、

 

今の自分にあぐらをかかず人生経験を積み、

 

謙虚に日々努力していきたいです。

 

それに、自分だけではなくお互いに高めあっていく関係というのも素晴らしいことです。

 

ここからは、性格や考え方には個人差があることを前提として、

 

基本的に私なりの見解で言及していきます。

 

  

Aグループを左側縦に見ていくと「明るい」から「繊細」までの四行が、プラス要素です。

 

同じくAグループ、右側縦に「暗い」から「神経質」までの四行が、マイナス要素です。

 

単純に考えると、プラス要素よりはマイナス要素がいいと思われがちですが、

 

生まれた時からプラス要素全てを備えている人は皆無ですし、

 

マイナス要素が無ければプラス要素への伸び代はないと思います。

 

理想を追求すると、プラス要素はもっとプラスに、

 

マイナス要素は努力と経験と反省によりプラスに、変換できるのではないでしょうか。

 

最上段の「明るい」と「暗い」でいうと、

 

極論で程度の問題ということもあります。

  

一般論ですが、「暗い」よりは「明るい」方がいいです。

 

しかし、客観と主観によっても変化してきます。

 

 

Aグループの上段を詳しく説明します。

 

言うまでもないですが、「明るい」の逆は「暗い」です。

 

「暗い」性格の方は、無口ですが常に何かを考え思考を掘り下げていることから、

 

「思慮深い性格」と絡んできて、「浅はか」よりも良い傾向にあると思います。

 

「浅はか」は短絡的な性格で、「思慮深い」は芯があり深みのある性格で、この二つは逆です。

 

 思慮深く寡黙な方はお笑い芸人に多く、人が考えないような発想を持っていると思います。

 

殻を破れば、面白く明るい性格になるのではないでしょうか。

 

「明るい」性格の方は、わりかし「浅はか」で表面上のことだけで物事を判断、

 

実行する傾向にあると思います。

 

しかし、「浅はか」な性格の方を逆にみると、「明るい」性格の方が多いように思います。

 

もともと「浅はか」な方は、明るさを持ち合わせているのではないでしょうか?

 

表面に現れずとも、見えない心の奥底に明るさが眠っているということも考えられます。

 

これに、「思慮深い」慎重さを加えれば、鬼に金棒だと思います。

 

 

Aグループの下段を詳しく説明します。

 

 「しっかり者」の逆は、「いい加減」でこれは分かりやすいと思います。

 

しかし、しっかりし過ぎて完璧主義になりストレスを溜めこむのも良くないですし、

 

いい加減でも、肩の力を抜いて余裕を持つという意味でのいい加減が良いと思います。

 

「繊細」の逆は「神経質」で、細かいということでは共通しています。

 

「繊細」は、細かい心境や感情を感じ取り、それを汲み取って癒しの言葉を与えることだと思いますが、

 

「神経質」は人の粗を探したり、

 

揚げ足を取るなどして攻撃的な言葉を浴びせてストレスを与えることだと思います。

 

しかし、「神経質」という言葉のイメージを、何気なく使っている現代社会ですが、

 

言葉を切り離してみると、「神」の「経」を唱えられる

 

「質」を持っているというのが本来の意味だと思います。

 

とても崇拝的な言葉で、現代社会のイメージを払拭したいのですが、

 

残念ながらそれに完全に置き換わる語彙が私には見つかりません。

 

「しっかり者」の人はたいてい細かく、優しい心を持っている人でしたら「繊細」に、

 

自分中心な人でしたら「神経質」に分かれると思います。

 

けれども、人にはいろんな一面があって気持ちにも起伏があり、

 

気が病めたりするときは「繊細」な人が攻撃的になったり、

 

悲しい時やうれしい時などは、「神経質」な人が優しくなったりすることもあると思います。

 

根本的な性格を変えることはそう容易(たやす)いことではないですが、

 

表面的な理性で、ある程度はコントロールできると思います。

 

仕事を一生懸命頑張ったり、いい友達を増やしたり、恋愛をしたり、

 

子育てをしたり、親孝行をしたり、兄弟と絆を深めたり、本を読んだり、趣味に没頭したり……、

 

そうすることで心のバッテリーが百%になります。

 

それを続けて百五%、百十%とキャパシティを超えるようにすれば、

 

表面的な考え方が内部に浸透して、

 

根本的な性格も少しずつでも変わっていくのでは?という風に考えています。

 

立証できるデータも確信できる根拠もない、飽くまで私の希望的観測ですが……。

 

「いい加減」な人は、自分にも人にも甘く、

 

「繊細」にも「神経質」にも化けるので、

 

気まぐれだということになるのではないでしょうか?

 

気まぐれは淀みがあり不安定なので、

 

自己啓発を行うか、人の話に耳を傾け自分を確立することで、

 

気まぐれの持つプラスとマイナスの中間の要素で、

 

バランスのとれた性格になれるのではないでしょうか。

 

一芸に秀でているということもいいですが、

 

人間は総合力という考え方も捨てきれません。

 

 

続いて、Bグループを説明します。

 

このグループは、Aグループに比べると左右がプラスマイナスに分かれるのではなく、

 

価値観の違いで両極に分かれ、比較的「良い」「悪い」という線引きが難しいものです。

 

例をあげると、「理論的」と「感覚的」には程度の問題もあるということはAグループと同じですが、

 

どちらかに寄ることでその人らしさが出るという特性があります。

 

 

Bグループの上段を詳しく説明します。

  

「理論的」(言葉や数字や図表などを巧みに操り組み合わせ、

 

理知を重んじ筋道を通して物事を捉えたり説明したりすること)の対極が、

 

「感覚的」(感性や直感を優先しイメージで物事を捉えて、

 

説明するときはシンプルな言葉で説明すること)です。

 

この二つは、使い分けると非常に表現力が高まると思います。

 

例えば、相手が物質であれば感性や感情が含まれないので、

 

「理論的」にとらえ説明し、

 

逆に相手が人や生き物であれば、

 

感性や感情を倫理的に大事にするべきなので、「感覚的」に捉え説明するという使い分けです。

 

哲学の専門用語に

 

「唯心論(ゆいしんろん)物事の根本は精神にあるという考え方と、

 

「唯物論(ゆいぶつろん)物事の根本は物質にあるという考え方がありますが、

 

それと絡めて考えるとより一層いい考察ができると思います。

 

辞書にあるかどうかわかりませんが、

 

それを総称して「理感的」という造語を作るのもいいなと思います。

 

「規律正しい心」と対極にあるのが「自由な心」です。

 

「規律正しい心」とは、社会一般の規律や法律、自分の信条に忠実に考え行動する心です。

 

「規律正しい心」を持っている人は、仕事では政治家や士業や経営者などに多いようです。

 

このような方々には、仕事が趣味というような方が多いと思います。

 

「自由な心」とは、モラルを範囲内とし、固定概念や思い込みにとらわれないという心です。

 

「自由な心」を持っている人は、発想が豊かで音楽家や芸術家などに多いようです。

 

このような方々には、器用な方が多いと思います。

 

目指すところは、両方を兼ね備えたバイタリティのある人間ですが、

 

それは容易いことではなく、どちらかを極めてから残り片方の心を磨いていけばいいと思います。

 

「規律正しい心」を持っているサラリーマンを例にとると、

 

話術を本やテレビで分析して勉強し取り入れることで、

 

型にとらわれないスキルを身に付けるというようなことです。

 

例えば、園芸が趣味の「自由な心」を持ち合わせている方でしたら、

 

趣味の底上げとして、発想だけではなく知識もどんどん取り入れて、

 

完成度を高くし充実感を追求していくということです。

 

 

「理論的」性格と「規律正しい心」の法則的な側面と、

 

「感覚的」性格と「自由な心」との直感的な側面を持ち合わせれば、

 

多角的な物の見方ができ偏見のない公正な人格が出来上がるのではないでしょうか。

 

 

Bグループの下段を説明します。

 

一見「積極的」と「ひかえめ」は相反するもので、

 

両方とも兼ね備えるのは不可能のように思えますが、

 

ことさら何かを起こす際には「積極的」と「ひかえめ」

 

の二つを併せ持って大胆かつ慎重に行動することが重要だと思います。

 

「話し上手」と「聞き上手」をバランスよくするには、

 

自分が話す時は相手の気持ちや立場も考え話し、

 

人が話しているときは耳を傾け受け入れるという姿勢が大切だと思います。

 

「積極的」な方は行動力があり、「話し上手」で人を楽しませることがうまく、

 

「ひかえめ」な方は慎重で謙虚で自分を強く出さず相手を立て、「聞き上手」であると考えます。

 

 

Cグループはご覧のとおり、対義的意味になります。

 

「優しい」と「優柔不断」は、混同しやすいので注意が必要だと思います。

 

「優しい」は確固たる自分の信条や信念を持ち、

 

相手の要求のラインを定めて、人に好意的に接することだと思います。

 

「優柔不断」は自分というものがなく、

 

相手の要求を何でも飲んでしまうことだと思います。

 

自分と相手の境界線をなくし、

 

自分を大切にできない人は本当に相手を思いやることはできないと思います。

 

 

 

図2 

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客観と主観という観点での性格

 

 

図2を説明すると、主観がのんびり屋の人から見れば、

 

客観である「せっかち」な人はなんであれほどまでに先を急ぐんだろうとなります。

 

もう一つの客観である「かなりせっかち」な人を見れば

 

あれほどまでにせっかちだと危ないなという極限の状態までいきます。 

 

主観が「せっかち」な人から見れば、

 

客観である「のんびり屋」はもう少しテキパキしようよで、

 

もう一つの客観である「かなりせっかち」な人をみると、

 

もう少しスローペースでやろうよということになります。

 

主観が「かなりせっかち」な人からみた客観である「のんびり屋」は、

 

とろいな、あそこまで行動が遅いと日が暮れるという極限の状態を感じ、

 

もう一つの客観である「せっかち」な人を見るともう少しテキパキしようよとなります。

  

この中心にあるのが「バランス」で、捉え方によっては中途半端ですが、

 

私は性格の場合だと極論よりは「バランス」型の方が長けていると思います。

 

「人のふり見て我がふり直せ」、「他人は自分を映す鏡である」という教訓から、

 

人と比べるのではなく自分を客観視し、

 

よりバランスのとれた性格に近づけるには

 

どこをどうしたらいいかということを分析してみるといいと思います。

 

人から指摘を受けて気にし過ぎる人は、

 

根深く思い込みという鎖に縛られて殻に閉じこもりやすいので、

 

自分の考えと人の意見というバランスも必要だと思います。

 

逆に、人の指摘をそれだけの話というように軽視してしまう人は、

 

反省と向上心が薄れてしまうので、真摯に向きあったほうがいいと思います。

 

 

・発想

 

※発想とは何か?

 

・一般論でいう発想の定義は

①あることを思いつくこと。また、その思いついた考え。思いつき。

              

②考えを展開させたり、まとめたりして形をとらせること。

 

図A

 

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図Aのように知識、知恵、発想はピラミッド型になっています。

 

最下部の知識は、図の通り既成概念という土台や材料からなっており、

 

これがなければ新しいものは生まれないですし、

 

さまざまな概念が出尽くしている現代社会では土台を根本から覆すことは難しいです。

 

そして、難解な知識ではある程度差別化は図れますが、

 

ほとんどは量でしか差別化できません。

 

図A左側の天才とは、先ほど述べたように知識の量や質はもちろん、

 

記憶力、理解力、頭の回転の速さなどの要素も含まれます。

 

次に知恵ですが、これは①の矢印のように、

 

知識をつなぎ合わせ集約しコントロールする要素を持ち合わせているのと、

 

上図のように知識と知恵のパイプという役割を持っています。

 

右側の賢者という意味は、状況判断がうまく、

 

早く機転が利く上に考え方に柔軟性があるということです。

 

最後に発想ですが、誰にでもできるというように勘違いされやすいですが、

 

精度、完成度というものがあり、

 

下部にある知識と知恵がしっかりしていなければ、

 

凡庸なもの粗悪なものしか出てきません。

 

知識という豊富な材料をもとに知恵をもって、

 

②の矢印のように整理と集約をし、

 

想像力を働かせたときにパっと閃く発想こそ、精度、完成度の高い発想です。

 

それこそ発想のメカニズムです。

 

エジソンの発明や、アインシュタインが特殊相対性理論を生み出し、

 

人類をイノベーションしてきたこれまでの歴史が証明しており、

 

これからもそうなるでしょう。

 

そのような発想も一度世に出て認知されれば、

 

③の矢印のように既成概念として元に戻ります。

 

知的財産の流動とは、①、②、③の流れのサイクルになります。

 

そして、形になる数字というものですら無限に存在するのだから、

 

一次元上の形にならない発想やイメージは無限大に生み出されることになります。

 

次に発想について、

 

私の実体験を踏まえて考察していきたいと思います。

 

十数年前、私が大学に通っていた頃の大学教授は、

 

アルバイトにいそしむよりは、

 

目先の欲にとらわれず今しっかり勉強して就職してから稼げばいい、

 

と言っていました。

 

しかし、勉強ばかりしていても世間を知らず、

 

知識はあるがそれをうまく使う知恵がなくなるという危惧を感じ、

 

私は大学教授の言うことを真に受けずアルバイトもしていました。

 

そこで得た仲間との繋がりや、接客という気配り、調理という食品の衛生管理の厳しさ、

 

上司との人間関係の保ち方などの社会勉強をし、

 

大学の教科書には載っていない貴重な体験をしました。

 

結局、一年で辞めてしまいましたが、

 

その時気づきました。

 

人生にマニュアルなど存在しない。

 

人生思い通りにならないからこそ人は努力をし、生きがいを見出す。

 

それこそ生きる意味。

 

過ちは人から言われて理解するものではなく、

 

難題に立ち向かい失敗して反省して自分で改めるものであると……。

 

その頃からインターネットが普及し始めて、

 

今やネット社会と呼ばれるほどの時代風潮になっています。

 

便利になった反面、

 

判別のつかない子供がネットですぐ調べられるということは良し悪しで、

 

正しい知識ならいいですが、

 

間違った知識を見分けられず自分の方向性を見間違うことにもなりかねないと思います。

 

それに、自分で考えてどうしても分からなければネットで調べるという使い方はいいですが、

 

ことあるごとにネットを使ってしまうと、

 

知識人、常識人にはなれますが、

 

既成概念、固定観念、先入観にとらわれ、

 

人間である最高の独自性=発想人にはなれません。

  

自分のアイデアを既成概念にプラスして新しいものを生み出す、

 

ということが難しくなるのではないでしょうか?

 

よくテレビのクイズ番組で発想を問われる問題を出していますが、

 

クイズという型に囚われている時点で発想ではなく知恵くらべであると思います。

 

発想とは、型にとらわれず自由に考えることであり、

 

人の意図に収まっているうちは発想と呼べないと思います。

 

 

 

 

・次元について

 

この世界を三次元だとすると後退した二次元は平面です。

 

平面には点も線も含まれます。

 

なぜならば、点も線も太さがあるからです。

 

例えば、先の細いペンで線を書いたときは線ですが、

 

ペン先が三十センチのペンで線を書くと長方形になります。

 

点も同じことがいえます。

 

従って、立体も平面もない世界は無ということになります。

 

一次元は無空間です。

 

二次元から進化した三次元とは、

 

限りなく薄い立体に平面が無限にある状態です。

 

さらに、この法則を適用して、

 

三次元の立体が無限にある状態が四次元ということになります。

 

立体が無限に入るとは、すなわち無空間です。

  

全体を通していえば、

 

数字の高い次元は数字の低い次元のものを含むということになります。

 

ということは同じ無空間である一次元と四次元の違いはこうです。

 

一次元は何もない無空間、

 

四次元とは何でもある無空間ということです。

 

一次元が0次元になってしまえば、

 

0次元は無空間さえも無いということになります。

 

これは人間の想像を超えるものになり、

 

言葉では説明できますが図で説明することは不可能です。

  

「ある」「ない」または「存在する」「存在しない」というような森羅万象を説明することはこれが限界です。

 

この限界を突破したところで、

 

人間は大きな飛躍を遂げるでしょう。

 

 

 

 

・多角的思考と絶対と真理と進歩

 

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物事に対して、三角形で考えると

 

「主観」、「客観」、「第三者」というような考え方になります。

 

四角形で考えると

 

「主観」、「客観」、「第三者」、「第四者」というように、

 

単純に一つ多くなり多角的にものを見ることができます。

 

この法則でいくと、五角形、六角形、八角形と増えていくたびに、

 

より多角的に物事を捉えることができます。

 

さらに、十六角形、三十二角形、六十四角形、

 

と増えていくに従って角が無限により近づいていき、

 

増えれば増えるほどさらに多角的にものを捉えることができます。

 

そうすると無限角形は円ということになります。

 

余談ですが、角が無限にあるのが円だから、

 

円周率が永遠に続くのと関係しているのではないでしょうか。

 

円は点を中心とした対になる角の線も無限に存在し、

 

その中心、中間にある点が対を絶するということを意味し、

 

従って絶対という概念になります。

 

無限にある考え方からは、

 

一つの絶対ということしかありえないのでしょう。

 

逆に一つの絶対に対しては、

 

無限に考え方があるということです。

 

言い方を変えると、真理に対する万物は無限に存在し、

 

万物は真理に基づいて成り立っているということです。

 

円の中に点これが宇宙の真理の図式です。

 

これを実生活に活用すると、

 

仕事ということに対しての向き合い方を

 

一人ひとつ真面目にやるんだというように解釈するのではなく、

 

具体的にどう真面目にやるかをあげていけば、

 

遅刻をしない、言葉遣いに気を付ける、

 

丁寧にものを扱うなどより無限に出てくるはずです。

 

一人では思いつかないことも議論することで、

 

考え方は多岐にわたり、さらに真理に近づいていくと思います。

 

これが進歩という概念だと思います。

 

人間一人の力ではどうにもならないことも、

 

皆で手を取り合い正の方向に力を合わせれば、

 

今までの地球史のように進歩してより良い世界になっていくことでしょう。

 

 

 

9.宇宙と人の意識

 

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(1)宇宙の創生と広がり

 

宇宙の原点は一つの点だった、という説が現時点では正しいとされていますが、

 

そうなると逆に、その周りはどんな形だったのだろうかと想像できるでしょうか?

 

誰がどう考えても出来ないです。

 

そうなると、

 

宇宙の領域は上も下も右も左も前も後ろもない想像を凌駕するものになります。

 

科学や理屈では解明できないことがあるのは至極当然であり、

 

ましてや自分の頭の中だけで世の中のことをはかるのはナンセンスだと思います。

 

形のないイメージや人の気持ち、精神、念、思想、考え方などを

 

観念論者の錯覚だと無視してはなりません。

 

そこに重きを得ることの追求が学問であると思います。

 

 

 

 

(2)無意識と意識

 

無意識の中に意識は存在するという言葉がありますが、

 

それは宇宙の意識という大いなる無意識の中に、

 

私達個々の意識が存在するということです。

 

無意識というものは時空を超越しており、

 

身近な例でいえば睡眠中の無意識の時に見る夢は長いようで短い時間、

 

広いようで狭い空間のことです。

 

このとき本人は無意識の状態で、宇宙の意識と同化していて時空を超えていますから、

 

無意識のうちに先のことが見えており、

 

予知夢や既視感(デジャブ)というような現象が起こるのではないかと思います。

 

高僧の空海などは、悟りを開き無意識と意識の壁を取っ払うことで、

 

心を無(存在がなくなるという意味ではなく精神が宇宙の意思と同化する)にし、

 

自由自在に自分をコントロールして足跡を残してきたのではないのでしょうか。

 

 

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