・私の不思議体験
この話は、あまりにも不可解で自分でも信じられないようなことなので、
人に信じてもらえるとは思いませんが、話半分でもいいので、余興のつもりで読んでください。
私は二十歳の時、統合失調症を患いましたが、その体験談です。
発端は大学生だった20歳の夏、大学の他、税理士になるための専門学校、
そして居酒屋でのアルバイト通いと、いろいろな要素のストレスが重なったことからでした。
アルバイト中、揚げ物の皿に敷く天紙が逆になったり、
アルバイト仲間の話がスローモーションになったりして、
頭の中が訳が分からなくなりやばいと感じて、いったん早退して家に帰りました。
すると、頭の中はパニック状態で、
判別できないほどの速さでイメージがコマ送りになり、
走馬灯のようなものを見ました。
そのあと、「何」という文字のイメージが迫ってきて、
自分だけ一日時間が進んだ感覚に襲われました。
(「何」という漢字を二つに分けると、
「にんべん」と「可」となり、人間ができること、
想像できることは何でもできるという悟りです。
以前テレビで、高僧空海の同じような体験が紹介されていました)
そんな状態でも理性は残っており、
このままでは自分が危ないと感じてアルバイト先の店長のところへ戻り、
自分の体験を説明しましたが取り合ってもらえませんでした。
その時に財布もキャッシュカードもないことに気付き、
お金もない、頭はおかしいという状態で
頼るのは親しかいないと思い、
電話をしました。
そして、仕事中の親父が、
鹿児島から神奈川まで飛行機で迎えに来てくれることになり、
ひとまず安心しました。
しかし、居ても立ってもいられず原付にまたがり道路を走ると、
自分は進んでいるのに周りの車は止まっていたり、
片道一車線の道の左側を走っていたと思うと右側を逆走していて、
前からダンプが迫ってきて危ないと思った瞬間、また左側を走っていたり、
不思議なことが起こりました。
これは危ないと思い原付から降りて河川敷で座っていると、
今度はキャッチボールをしている人がボールを投げては巻き戻し、
投げては巻き戻しというような場面を見ました。
そのあとも不思議な世界は続きます。
原付が走ってきたので、
「進め」と言うと進み、
「戻れ」と言うとバックできない原付がバックしました。
コンビニに入って「時間よ止まれ」
と言うと店員が硬直して僕だけが動いていました。
そして僕はまた原付にまたがると、
羽田空港を目指して走り始めました。
最初は河川敷を走っていたのに、
周りの景色がゆがんでグチャグチャになり、
いきなり工業地帯のような所になりました。
スピードは出ているのに、
歩いている人たちはスローモーションで、
何気なくガソリンのメーターを見るとほぼ空になっていました。
僕は何でもできるという気持ちで、
隣の車のガソリンを自分のタンクに空間移動させようと考え、
念じながら手をかざすとメーターが満タンになりました。
走っている最中も何度か原付を止、通行人に
「羽田空港はどこですか?」と聞きながら走っていると、
やがて川崎の多摩区から羽田空港まで着いてしまいました。
そして、待合室で、
スローモーションの通行人をボーっと眺めていると、
親父が迎えに来てくれて、原付は空港に置いたまま鹿児島へ帰りました。
実家に帰りつくと、恐怖ではなく感動に似たような感情で涙があふれました。
それから心療内科を受診し、翌年の四月まで自宅療養しました。
それから、服薬しながら大学の二年生をもう一回なんとかクリアして、三年生に進級。
そして、9月ごろから大学、税理士の専門学校、
お小遣い稼ぎの週一のアルバイトとまた無理をしていたら、
自分の心の声が人に聞かれているという観念に襲われ、
危ないと思った私は母親に電話をして迎えに来てもらいました。
事なきを得たと思い、
再び鹿児島に帰りましたが、
今度は重症で即入院でした。
保護室という管理された部屋に入れられ、
便器もない所になぜ自分がいるのかもわからずにいると、
いきなりヒトラーが現れ、
「これは精神を破壊する殺人兵器だ!!ブラックライト!!」と言いながら、
黒い光を浴びせてきました。
仁王立ちで半日ぐらいこらえ、疲れて寝ると、
また次の日の朝から始まるのです。
ブラックライトが……。
これが一週間ぐらい続いたかと思うと、
ヒトラーは完全に出てこなくなり、
遠くを見ていると母親が裸で正座しているヒトラーを説教していました。
その後、また母親が漁船の大量旗を振って、
笑顔を見せながら僕の方を見ていました。
ヒトラーも説教も大量旗も幻覚なのですが、
それは現実と認識していた私は恐怖におびえる日々が始まりました。
脳天に落ちてくる核兵器、マグナムを打ち放つバイト先の先輩、
チェーンソーで頭を切り裂こうとする親友、壁から出てくる目玉の親父、
食事に毒が入っているという声、天井から自分が降ってくるという声、
他にも数えきれないほどの幻覚、幻聴を体験しました。
コップに普通の水を入れてもらい飲むと、
はちみつレモンの味がするという幻味も体験しました。
今では、これらは自分の脳内で起こっていることと片づけられます。
しかし、自分からは外に出られないし、
職員しか開けられない保護室の中で
しわのない洋服からタバコがぽろっと出てくることもありました。
見回りに来た職員が、
配給以外のたばこを持っていた私を見てビックリしていたのを鮮明に覚えています。
そんな保護室での生活が四か月を過ぎると、
だんだん不思議なことは起こらなくなりました。
幻視は早々無くなったものの、
幻聴は退院して20年たった今でも聞こえます。
幻聴もただの妄想ではなく、
九ヶ月入院して退院した後の自宅療養の際、
テレビの前に横になって寝転んでいたら、
「Dという番組にKというタレントが出ている」という声が聞こえたので、
テレビをつけると本当に再放送のDという番組でKというタレントが話している場面でした。
これで、私の不思議体験は終わりです。
発症しているその時は地獄でしたが、
今となってはただのチープな映画だと思っています。
・卓球のドライブ打法と包丁さばきの意外な共通点
卓球のドライブという打法は、ボールに回転とスピードを与えて攻撃する技術です。
パワフルなドライブをするには、まず構えの状態でラケットを落ちない程度に柔らかく握ります。
(力を入れると腕は速く動かず、これでは球技の要となる速筋は使えません。
逆に、重量挙げなどの遅筋を使う競技には最適です)。
次に、上半身より後ろ斜め下にバックスイングを取ります
(バックスイングというのはリレーでいう助走です。
このおかげでラケットを速く振れますし、リレーでは速く走れます)。
そして、遠心力を働かせて
(腰・肩・肘・手首と体から近い順に関節を使い)、
腕を鞭がしなるように素早くスイングします。
その時、ボールをインパクトする瞬間に力を入れると、
驚くほどのパワーボールが生まれます。
テニスや野球の投手もそれに似た原理ではないかと思います。
これを料理に置き換えてみましょう。
スピーディーな包丁さばきを手にしたければ、
卓球と同じように、
食材に包丁が当たっていない時点では力を抜き、
当たる瞬間に力を入れてインパクトします。
すると、硬い食材も速く、確実に切れます。
当然のことながら、包丁は引くか押すかしないと切れませんので、
表現としては、スライドさせるような感覚がベストだと思います。
余談ですが、中華鍋など、大きなフライパンを振るコツは、
側面から見て横に長い楕円形をイメージして振ると、うまくいきますよ。
・新しい会計学
その名は「精神会計論」。
ことわざ、慣用句、格言、精神論など、
身近にある知恵と会計を絡めて、関連づけて考察することにより理解を深め、
多角的思考をする学問。
発想の仕方は、物事と物事を繋げる、
全く新しい概念をうみだす、既成概念にプラスする、
既成概念を否定して逆さからみる、2つ以上の物事を組み合わせる、
常識を覆す、ということです。
分かりやすく例をあげると、
「費用は発生主義、利益は実現主義」。
この会計論を格言に当てはめてみます。
「費用は発生主義」というのは、費用が発生することを前提に、
発生した時点でまずリスクを抑えておくということです。
すなわち、「用意周到」という軸をつくります。
「利益は実現主義」というのは、利益は実現しないと自分のものにはなりませんよ、ということです。
背景に捕らぬ狸の皮算用ではいけないという格言があります。
その概念からさらに多角的に考察し、
「費用収益対応の原則」を用い、収支のバランスすなわち、
「分相応」という結論を導き出します。
また、「総額主義の原則」は、費用と収益を相殺してしまえば不明ということです。
従って、誰がそれを見ても「一目瞭然」ということが、「総額主義の原則」の理念です。
「損益分岐点」は、人生は山あり(いいこと)谷あり(悪いこと)の±0です。
努力しないと赤字、頑張れば収益ということです。
これらの原理をただ暗記、理解するのではなく、
仕組みや背景を熟知すれば記憶に残るのではないでしょうか?
それに、難しい会計の専門用語にも取っつきやすくなります。
会計も文化・学問なので精神論と相性はいいと思います。
精神論とビジネス論は真っ向から関係ないと否定するのは、
間違いではないですが、正しくもありません。
問題なのは切り離して考えることです。
あるセミナーでビジネスマンが
「精神論は教えなくてもいいから、技術を教えてくれ」と言っていました。
その技術というのは、元をたどれば精神です。
教わった精神論をいかにビジネスに置き換え、
技術として使うかがその人の手腕にかかっていることに気付いてほしいです。
・刹那に感じること
12:59:59秒と0:00の間にも、
12:59:59.999999999999999……
と無限に続く永遠があります。
人間は刹那の中にも永遠を生きています。
刹那に感じたことを大切にしてほしいです。
・役立つ知識とは
死んだ知識→単体のみで意味をなし、他の知識との関係性や実用性のないもの。
活きた知識→他の知識との関連性があり、
何かのヒントや問題解決の糸口になったり、行動や実行に役立ったりするもの。
・相対性理論の進化
相対性理論の数式を省き言葉だけで要約すると、
時間と空間と光は相対的に存在するものであり、
絶対的ではないということです。
相対性理論の中に「光速度不変の原則」という概念がありますが、
これは光の速さは常に一定である、ということです。
例えば、ライトを点灯しながら走っている車は、
車の速度と照射している光の速さがプラスされ、
光の速さを越えていると思われがちです。
しかし、実際の速度は光の速さを越えていないということです。
そうでなければ、走っている車の時空は歪んでしまい、
時間が速く進んだり、空間がよじれてしまうことになります。
この相対性理論の概念を超越する存在が、
光をも飲み込むブラックホールです。
光をも飲み込むということは、
時空をも凌駕するものです。
「光速度不変の原則」を根本から否定する装置を生み出せるのなら、
ワープ(空間移動)、タイムマシン(時間旅行装置)、
バーチャルリアリティー(仮想世界)の世界観を作り出す
夢の装置の誕生となるでしょう。
ちなみに、パラレルワールドとは、
並行世界という見方もできますが、
私の考え方では、
時の流れをテレビの映像のフレームのように切り取っただけの別次元の世界観です。
ちなみにそして、何もない世界「無」から、
「時間」「空間」「光」「物質」「精神」などの
「有」を創ったとされるのが、俗にいう「神」です。
・無意識と意識を分かりやすく例えると
ITの世界で言うところのPC、スマホなどのデバイスが意識で、
サーバー、クラウドが無意識。
大きく違うのは、ITが情報であるのに対して、
無意識とは完全無欠、全知全能、森羅万象ということ。
・何が言いたいか分からない人の特徴
説明や話には、過程と結論、
つまり起承転結という流れがあります。
何が言いたいのか分からない人の特徴として、
過程ばかり話して結論を導き出さない、ということがあります。
マルチ商法や難しい哲学書にもよくあることです。
また、法律にもそのような気配がありますが、
それは解釈というものを自由にして含みを持たさないと、
自由や尊厳、人権を縛ることになるため、仕方なくという側面があるのでしょう。
人の話を聞いていて、いまいち理解できないときは、
「結局どういうことですか?」と尋ね、答えを引き出してみてはどうでしょうか?
・あかるい
「あ・か・る・い」という何気ない言葉。
この言葉には二つの意味があり、全く逆のことを指します。
一つ目は「明るい」で、陽気に周りを活気づけるという意味です。
もう一つは「あ、軽い」で、ノリがいいのはいいけれど、
誠実さに欠け雰囲気を乱すという意味です。
明るく楽しく場を和ませる存在。コミュニティの大小を問わず、
そんな人がいると良い環境になるでしょう。
・世界は数字でできている12の法則
著名な有名人が言った、
「世界は数字でできている」という言葉が、
私の中に残っています。
それを追求しようと、思考を巡らせてみました。
完全で確な答えには至りませんでしたが、フレームぐらいは解明できました。
結論から言うと、「6」と「2」の法則です。
私がこの二つの数字を意識しながら生活して感じたことは、
「2」に関する事象現象は始まりを意味し、
12の中間でもある6は分岐、すなわち転機ということです。
その二つを掛け合わせた「12」という数字は世の中にたくさん転がっています。
「12星座」、「12干支」、「オリュンポス12神(ギリシャ神話)」
「半日は12時間」「一年は12カ月」「1ダース12個」
「音楽12音」「12宮」「12使徒(新約聖書)」
「十二単(じゅうにひとえ」「12神将(仏教)」
「冠位12階」「12因縁(仏教)」「12直(陰陽)」「12方位」
「12天(仏教)」「12処」
「日本プロ野球団12球団」「12指腸」「12表法(古代ローマ)」……。
人間の感覚も第6感までは良く認知されています。
ちなみに、現在判明している感覚は9感まであるそうですが、
本当は12感まであり、それを超えると生命体の限界を超えるのでは?と考えています。
私は、おそらく宇宙も12個あるのではないかと考えております。
「12」は、すなわち法則の集大成です。
「6」は合成数であり、正の約数は1、2、3、6です。
約数の和は12。12=6×2より完全数です。
「完全数」(完全とは、置き換えると絶対・真理ということ)=「宇宙や世界の法則」
「6」に関係することとして、「円の角度360°」、「一年365日」、「一分60秒一時間60分」
足して12になる数字の組み合わせ、例えば4と8、3と9という二つの対となる数字が六つあるということです。これが数学的に見た4次元の世界観です。
そして、真理の12という概念です。
興味深い数字が円周率です。
円周率は無理数であり、その小数展開は循環しない。
円周率は、無理数であるのみならず、超越数でもある。
世界が数字でできているとは、円周率の数字と真理の12の法則が中身なのでは?
・人間の新たな感覚
人間の感覚が12の法則により第12感まであるとすれば、
12を2で割った第6感というのが人が持ち合わせている標準の感覚ではないでしょうか。
したがって、第7~第12感までは、悟りを開かないと会得できない未知の領域です。
聖人君子の要件として最低条件が、第7感の会得です。
・新しい笑いの取り方
フリをしてオチではなく、落としておいて上げる(アゲ)
出オチともノリツッコミとも違う。
誰か実現できるお笑い芸人の方はいませんか?
・新しい笑いの取り方2
「一人ボケツッコミ笑い
(ボケを言って、
自分の頭を叩いてツッコミ、
最後つり笑い)」
・オシャレ
本当にオシャレな人は、服を着こなしています。
しかし、ダサい人は、いくらいい服を着ても服に着られています。
オシャレはブランド名、価格、高級感で決まるのではなく、
色合いの組み合わせ、自分に合ったシルエット、
アクセントになる模様などが重要です。
それから、伸縮性、防水性、通気性、吸収性などの機能性があればなおさらいいでしょう。
・自分の畑を持ってしての世界平和
結果から言えば、小説を書いている人に「化学兵器を作れ」と言って、
できると思いますか?
できませんよね。
これは想像力とも共通しています。
小説には起承転結という基本がありますが、
期待をいい意味で裏切るような、
想像力から生まれる型破りな発想というものがあります。
化学兵器でいえば、一度で何億人も殺傷できる技術を、
人のために役立つものに使えるよう、
想像力を働かせて発想の転換をすべきです。
自分の畑にアイデアという種をまき、
芽が出て、それが作物として育ち、
それを人々に喜んで食べてもらうことの広がりが、
平和です。
・学業、仕事、遊びという観点の成功者
私自身、勉強もスポーツも遊びもとことんやりました。
芸術はかじる程度でしたが。
小中高大の教育がありますが、
世の中は義務教育までで十分渡っていけると思います。
中卒なら、料理人や土木作業員のような技術職に就き、
経験を積みながらそれをとことん勉強していけば成功します。
私の知り合いにも、中卒で技術を身につけて勉強し、
地方では有名なパン屋の重役をしている人もいます。
中でも一番中途半端なのが高校教育。
就職するには、経験と知識が全然足りません。
大学に受かるためだけの勉強は役に立ちません。
大学に受かったところで、
四年間のバカンスを楽しめば、
実質高卒で就職するようなものです。
お金がかかるだけ。
それなら商業や工業高校でスキルを身につけて、
資格を取り就職した方がよっぽどいいと思います。
一番危ないのは、高校普通科で大学に受かるためだけの勉強をして、
大学は四年間のバカンスを楽しみ、就職するパターンです。
もしバカンスの途中で危惧を抱いたら、
大学院に進むといいでしょう。
しかし、学生のうちは社会人からしたら土俵にも立っていません。
学生のうちは勉強・スポーツ・芸術・遊びなど、
目の前にあることをがむしゃらに頑張って楽しんでほしいです。
学生のうちは将来の事なんて全然わからないのですから。
若いときにしか感じられない
新鮮さ、面白さが、歳をとってから青春を謳歌したという
いい思い出になるのです。
20代のうちは余裕を持って、
太く短くアルバイトするもいいし、
ミュージシャンや俳優やお笑い芸人にチャレンジするもいいでしょう。
自分の自信が揺らいだときが、転機。
チャレンジして、一生アルバイト生活でも、
人に迷惑をかけなければ何でもありのこのご時世。
20代の経験を生かして、
30代で身を固め、細く長くやっていき、
働き盛りの40代で社会人として勝負です。
もし勝負できなくても、
50代になったら老後の楽しみを作ればいいでしょう。
60代は元気なうちは働いて、
老兵として若い人達を自分の人生経験で導いてほしいと思います。
強制や命令ではなく、道しるべになるアドバイスを……。
しかし、その人が歩いてきた60年が全てに当てはまるとは限りません。
60年の人生経験をした人が10人いたら、
三種三様で600年分の経験なとなります。
それをたった1人の60年だけの物差しで測るのはもったいないと思います。
体にガタがきたら、好きなことをはめをはずしすぎない程度に楽しんで、
穏やかに過ごせたらいいですね。
「あーよかった!この自分で」という、
後悔のない一生青春な人が成功者でしょう。
・本
私がたまに読む哲学書やビジネス書、
どちらにせよ、学者が書いた机上の理論は実体験ではないので、
あまり好きではありません。
それよりも、
現場で叩き上げた経験から得る知識に心奪われてしまいます。
それでもあえてベストな本をあげるならは、
実体験プラスその根拠を教える机上の理論がある本です。
「事実は小説より奇なり」と言われる通り、
空想の理論よりいろんな出来事を裁いてきた臨機応変なHow toが、
迷える私を導いてくれます。
今は本はあまり読みませんが、
ふとしたときに読む本が心と頭を豊かにしてくれます。
・テスト200点という概念の導入
世界中の学校教育の現場で、テストというものが存在します。
短答式、論文形式、面接形式などの問いがあり、
その評価は、○点、ABCD、優・良・可など、
全てテストの作成者の意図の範囲内にあります。
つまり点数にして言うと、100点以上は取れないようになっているのです。
短答式は、100点を上限にしないと偏差値が求められません。
正解不正解を明確にして数値化できるということがありますが、
論文形式や、面接形式でのテストで、
作成者のグレーな判断を数値化して100点以内とするのは疑問が残ります。
作成者の意図を超えるほど、素晴らしい出来であれば、
100点満点200点限界という概念を設けてもいいのではないでしょうか。
論文形式で、理論展開として既成概念を組み合わせて、
その分野の正しい知識を網羅すれば100点満点、
それに新しいアイデアと実用性のある発想を付け加えられたら200点限界、
とする評価の仕方もあってよいのではないでしょうか。
そもそも学問とは、
既成概念という知識を覚えてそのまま使うということではなく、
仕事などで蓄えた知識をその状況に応じて使うというのが本来の目的です。
既成概念というマニュアルだけ覚えても、
何の役にも立ちません。
どう使うかがカギになります。
学校教育において100点を取ったから満足するのではなく、
その上を目指して想像力を鍛えることで、
社会に出てから臨機応変に学んだ知識を使えるのです。
その原理を熟知していれば、
学歴はなくても成功のチャンスはあります。
逆に、それを知らずにただ勉強ばかりしていると、
高学歴でも平社員で終わるということもあります。
話がそれますが、その原理は生活のなかにもたくさん転がっていて、
特に遊びを通したコミュニケーションやスポーツ、芸術の世界にも存在します。
賢い人は自ら経験を積み、原理は知らなくとも感覚的にその原理を備えているのです。
次に面接式ですが、これは資格試験でよく使われます。
これも短答式のように、マニュアル的なパターンが多いです。
接遇試験にしても、
常識の範囲内でこう言ったらこうという型があり、実質短答式と同じです。
しかし、接遇試験の場合、論文式のようなグレーゾーンがあり、
数値化できないその人の立ち振る舞いや表情、
しぐさなど非言語的な部分も評価の対象になります。
パターンは数値化してよいのですが、
接遇の応用度として
どれだけ機転が利くかということを調べるため、
先述した論述式の200点限界システムを使えばよいと思います。
ただ、安易な資格取得のためやそれを求めていない学校や会社がやってしまうと、
学力やスキルはないのに、
誠実さという人間力が闇に落ちてしまうことを危惧します。
特に学校教育は、基礎知識は二の次で、
まずは集団生活という人格形成の場なので、
点数で学校を区分けした上で人間力を培わなければなりません。
そうした基盤を作ることで、
企業が求める人材は、
人間力もありスキルの高い人材を育てますが、
そういったいい人材は大企業に流れる傾向にあり、
中小企業は弱い立場にあります。
そこで、必然的に学校教育で形成した
協調性・コミュニケーション力などの人間力を
重視して雇うことが多くなります。
資格に関して言えば、
200点満点の試験は、簿記であれば1級の上、特1級などをします。
そして、それまで学んだ1級の知識や原理を熟知した上で、
有識者らの学者の判断により、社会に貢献できるというライン、
例えば、150点以上200点限界システムを作ってみます。
そうすれば、学校に通う学費のない人達が、
資格で自分のアイデアを世の中に拡散でき、
その資格で学者有識者らと同様の仕事ができるようになります。
そのような専門家が企業診断するのも、
特1級の職種です。
既成概念と知識のみという常識から脱却して、
自分の想像力の可能性を見いだし、
学校教育・企業・資格など、
自分も社会も得をするような世界観が実現できるのではないでしょうか。